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「天使の死」についてのダイアログ (ガヴリールドロップアウトSS)

「私って死ぬのかな?」
 テーブルの上で鉛筆を走らせていたヴィーネがノートから目を離す。
「……いきなり何言ってるの?」
 聞こえていなかったのならそっちのほうが良かったかもしれない。
 普段入り浸っているゲームがメンテナンスに入ってしまったゆえに暇が生じ、暇というものは余計な思考をもたらすものである。膝上に置いたラップトップは「もうしばらくお待ち下さい」と赤字で懇願を続けている。
「いやさあ、下界での生活を続けていると、今の私たちって実は人間と同じように死ぬんじゃないかと思ったんだよ」
「天使って、不死の存在じゃないの?」
「天界では確かにそうだよ。今年で五〇〇〇歳になるひいひいひいひい……まあそんな感じのおばあちゃんも居るし、この前――一三〇年前に会ったときもピチピチしてたし」
「私の方もそんなところだけど、ならどうして?」
「不死というステータスが、下界でも通用とするとは言い切れない気がするんだよ」

 雲の上、空の果て。天界はそんなところにあるものだと、人間は素朴に考えるらしい。人類の歴史上、天界なる世界(あるいは空間、地域)が観測された確かな記録が一つとして無いにもかかわらず、である。
 ならば天界はどこにあるのか。少なくとも人間が「世界」と呼び習わしている三次元空間には存在しないと言える。もう一つの次元、つまり時間でさえ同一であるか疑わしい。確かなのは、われわれ天使が「天界」と「下界」の間を自由に往来できることのみである。
 問題は、天界と下界という二つの界面を通り過ぎる前の私と後の私は同一か、という話である。
 天界の住人――とりわけ天使は、できることはできることとして、それ以上――例えばなぜ天界や天使が生まれたか、なぜ天使は下界へ行けるのか、そういった事柄を追究しない傾向にある。人間は不完全ゆえにこの世の理に疑問を差し挟むことができるが、天使は完全である。少なくとも彼ら自身がそう主張している。

「下界は天国や地獄と違って、物理法則に支配されてるじゃん」
「物理法則とか急に言い出して……何か悪いものでも食べた?」
「これくらいは天使にとっては常識。私だって優等生だったんだ」
「『だった』、ね……」
 天使たちは、彼ら自身を下界の生物より上位の存在と定義している。これには一応の理由があり、生物に共通する性質――すなわち死が存在しない、正確には死んだ前例がないことがそれに当たる。
 しかし、下界に存在するからには下界に存在しうる姿が必要である。そういうわけで私は今、ヒトの形をとっている。ラフィエルや私といった天使の人型は、物理法則を部分的に無視できることを除けば、人間とさしたる違いはない。
 天使の死、なんていうテーマは当然ながらあちらの学校では扱われない。天使は下界でも死なないのか、単に死んだことがないのか、実は死ぬけれど隠蔽されているのか、わかったものではない。
「天使が死に思いを馳せるっていうのは、なかなかお目にかかれない光景ね」
「私はヴァルハラの地で幾多の死を見届けてきた。たまにはセンチメンタルな気分にもなる」
 膝上のラップトップに目を落とす。今この瞬間にも、画面の向こうで、窓の向こうで、人間は、生き物は死に続けている。
「……意外と繊細なのね、ガヴ」
「そ、そんなんじゃないわ!」
 慌てて言い返し、「そうだ、悪魔はどうなのさ」と思いつきで問う。
「人間で言うところの死、つまり病気や老衰、事故死はありえないと教わったわ。下界――じゃなくて、この地上ではどうか知らないけど。……ただ、悪魔は天使によって滅される可能性がある」
「滅された悪魔はどうなるんだ? 復活とかするのか?」
「それはさすがに秘密。いくら友達でも、天使にそれは教えられない」とヴィーネ。
「そっか。それならいいや」
 意識していないだけで、私たち二人には、どうしたって超えられない一線があるのだろう。
「案外、あっさりと引き下がるのね」
「私は天使だ。無理に問い詰めるような真似はしない」と、もっともらしい文句を繋ぐ。
 実を言えば、どうでもよくなったのだ。

「天使と悪魔は相補的な関係にあるのです」とはいつかの授業で聞いた話で、要は人々を救済するために地獄を焼き尽くすのはルール違反という話だ。そんなことをすれば、われわれ天使は天使という名を失い、まったく無の、存在しない存在と化してしまう、らしい。今こうして思い返すと意味不明であるが、一理ある見解だとも思う。
 ヴィーネが部屋に来る前、この部屋には即席めんのカップが八個、三ツ矢サイダーの1.5Lペットボトルが十二本(いずれも空)転がっており、脱ぎ散らかしたままの下着がベッドに、床に、台所に散乱していた。魔法とかホロコスとか天使固有のなんかで衣服も生成できればよい、どうして人間様よろしく毛皮をアウトソースせねばならぬのだと私が愚痴る間に、ヴィーネはカップ麺と三ツ矢サイダーの抜け殻をごみ袋に詰め、洗濯ネットまで用いて下着をまとめ、洗濯機に放ったのであった。
 悪魔のサポートを得てはじめて私の生活は成り立っている。悪であることを規定された存在が、善であることを規定された存在に世話を焼く。神さまも意地が悪いと思う。
 それにしても――友達、か。
「なんか、ありがとう、な」
「え、何?」
「何でもないっ!」
 聞こえていなかったのならそっちのほうが良い。これに関しては、絶対。
「というかガヴ、宿題は……もちろんやってないわよね」
「わかったわかった、やるから教えてよ」
「あら、今日は『見せて』じゃないのね」
「たまには気が変わるんだ!」と言ったのは嘘ではない。
 どんなふうに変わったか……それは神のみぞ知るものとして、ここでは天に放りたい。

何もない日

 今日はどうだった? ……そう、「何もなかった」ね。そんな日も必要よ、たぶん。
 そもそも、本当に何もない一日なんてあり得ないのだし。布団で寝ているだけの一日でも、布団で寝ていたという事実は存在してしまうからね。……いや、別に言葉遊びで気を紛らそうっていう話じゃなくて――何もしていないように思えても、その「何もしない」をしている時間から何かの発想が生まれることは、さほど珍しい現象じゃない。つまりはそういうこと。

 今日も変われなかった? 人はそう簡単には変われないよ。自分であることをやめると言っているんだから、それはごく自然なこと。
 人生なんて、勝手に始まって勝手に終わってしまういい加減なものなんだから、そこに過度の信用とか、期待とか、疑心とか置かないで、好きなようにしたらいいんじゃないの? あなたは今まったく自由を感じられないかもしれないけれど、それだって一つの自由の形なんだから。残酷だけどね。

「ある日、ある地点で、ある方角をある人が眺めたらその景色がきれいに感じられた」。あえて記すまでもない、あえて残すまでもないそんな事柄が、この世界を形作ってきた源泉かもしれない。え、その程度じゃ誰も振り向かない? ……そうかもね。世界は自然に、人に、物語にあふれているから。
 でもね、誰にも振り向いてもらえないとしても、記す意味をあなたが、作ることはできる。夜空に輝く遠くの星を、弦を成す月の輪郭を、水面に映る己の姿を、この世の不思議を法則を、あなたは伝えることができる。幾多の言葉で伝えることができる。
 私が今こうして存在しているように。

 この文章はここで途切れるけど――つまり私の存在はここで途切れるけれど、あなたが少しでも、あなたの存在に、あなたの言葉に、希望を見出だせるように祈っている。
 じゃあね、ばいばい。

character

 予定されていた物語が、予定されたような展開で続き続けるのは、いったいどういった手合いの悪夢なのかと私は身震いする。
 愛とか恋とか友情とかは物語の推進力として利便性が高いゆえに、多くの物語に採用されているに過ぎない。なぜ利便性が高いか。人類の低次の欲求に即しているからだろうか。
 いくつかの類型に従って物語は展開され、早かれ遅かれそれは途切れる。破壊と創造と言うにはいささか美しさに欠ける。物語の細分化は加速度を高めていき、それに反比例するように、洗練の度合いを低下させてゆく。今やあらゆる物語は混沌の最中にある。
 人間には物語が必要だ。しかし物語は原理的に事実ではあり得ない。ゆえにこう言い換えることもできる。人間には虚構が必要である。虚構は言語によって構成されるが、言語は自ずから不自由性を孕んでいる。言語は思考そのものであり、制約そのものでもある。言葉が真理を表せるのであれば、どんな物語もたちどころにその存在意義を失う。
 表現にはすべて意味があるという幻想が幅を利かせている。極論を言えば、歌詞に意味など必要ない。少なくとも単一の解釈のみが与えられる道理はない。言語は、特に歌詞などは、表現された内容(読者や聴者に解釈されることで浮上する虚像)以上に、言葉そのもので何かを感じさせることはできるかもしれない。

 そんなことを考えつつ、しかし、この物語の著者は「彼は頬杖をつき、ぼおっとしている」みたいな雑な語りでこの場面をまとめてしまうだろう。未熟な語り手に付き合わされるキャラクタの気分にもなってみろというものだ。