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露街公開空地

創作やコンテンツに関する覚書......にしたい

全盲女子生徒暴行事件への反応について思うこと

 2014年9月9日、全盲の女子生徒が川越駅コンコースで何者かに足を蹴られ、全治3週間の怪我をしたという事件が発生した。

 私は当該事件についてちゃんとマークしていなかったのだが、以下のNAVERまとめがTwitterのタイムラインに流れてきたために、記事を書かざるを得なくなった。

「全盲なら乗るなよ」「相当イラつくのは確か」川越線での全盲女子負傷 加害者への同調がツイッターで続出 - NAVER まとめ

 このNAVERまとめでは被害生徒への非難が8ページにわたってまとめ上げられている。アカウントに泥を塗ることも顧みず言語化された非難がこれだけの数にのぼるのだから、被害者が悪い、あるいは被害者「も」悪いと考える人はごく一部というわけでもなさそうだ。

 胃腸の調子を慮りながらまとめられたツイートを読むと、目立つのは「蹴るのはもちろん悪いけど、ぶつかったときに謝らなかったのは被害者の落ち度」系のツイートと「電車の時間をずらすくらいの配慮があればよかったのに」系のツイートだ。

 確かに道理にかなったことを言っているように思えなくもない。しかしこれらの発言は到底容認することができない。

 私は自身が肢体に障害(「障碍」という表記も嫌いではないがここでは「障害」を使う。余談だが、障害者が「障がい」という表記を使っているのを私は見たことがない)があることもあり、障害を持つ人と間近でコミュニケーションを取る機会があった。その経験なども参考にしながら書いていこうと思う。ただし障害についてちゃんと勉強をしているわけではないことを断っておく。

点字ブロックは「唯一の道」

 まず前者。人にぶつかったら謝るのは確かに望ましい行為だ。しかしこれを強要するのはどうかと思うし、ましてや暴力に訴えられた人に対して「謝らないのが悪い」と詰るのはあまりに酷ではないかと思う。「いじめる方も悪いけどいじめられる方にも原因はある」と同じ論法だ。つまり、原因があればいじめていい、謝罪がなければ殴っていいと言っているのだ。

 白杖に何かがぶつかったという感触があったとしても、それですぐ、目の前の通行人が転倒したと認識できたかどうか。実際のところは知り得ないが、晴眼者と同じようにはいかないことは、少し想像してみれば分かるものではなかろうか。視覚障害者の中には白杖なしでスタスタと歩く人もいるが、杖と点字ブロックを頼りにして歩く人もいる。盲導犬やほかの人のサポートを受けている人ももちろんいるし、適宜それらを使い分ける人もいる。

 これはつまり、人と場合によっては、点字ブロックが唯一ひとりで歩くことのできる「道」となる、ということだ。被害生徒は点字ブロックの上を歩いていた。そこに加害者がぶつかり、転倒した。これだけでもう自業自得どころか、点字ブロック上の歩行者の危険を顧みない行為だ。もし加害者がそれに気付かずぶつかってしまったとしても、謝るべきはむしろ加害者側だろう。

それは本当に「配慮」なのか

 次に後者。こういった意見は被害者を気遣っているようにも見えるし、ツイートした本人も被害者を気遣ったつもりでいるのかもしれない。

 しかし、ここには無自覚な差別意識が現れているように私には思えた。意地悪く言い換えると「ラッシュアワーの駅に障害者がいるのは邪魔だし迷惑だ」ということだ。

 しかし障害者であっても学校には行くし、会社にも行く。健常者と全く同じとはいかないまでも、同じように勉強したり、仕事をしている。時間に追われることもあるし、クラスの皆と同じ時間に登校したいという気持ちもあるだろう。被害者は盲学校の生徒だが、盲学校をはじめとする特別支援学校には、障害者が自立した生活を送るために必要な教育をするという役割がある。

 配慮というものは当人の希望に応じて、極力当人が希望するかたちで行われるべきものであって、他人が一方的に押し付けるものではない。多くの障害者は健常者と同じように、自立した生活を送ることを願っており、そのために健常者以上の努力をしている。障害による身体的・精神的制約から周囲の人の「配慮」を必要とする場面もあるが、何も「特別扱い」を望んでいるわけではない。

おわりに

 曖昧な根拠で何かを悪く思うのは、人の心の働きとしては普通のことだ。しかし、明確な行動や態度に現れず、自覚もされない差別意識を、人々は持っているのかもしれない。私自身にしろ、差別意識が全くないと自信を持って言うことはできない。何かのきっかけでそれが表出する可能性はゼロではない。差別意識なんて持たないのがもちろん理想だけれど、ここまで書いてきたようにすべて自覚できるわけではないので怖いなーと思う。あと、何かを悪く言いたくなったら、その気持ちは差別意識から生まれたものではないか? と自問してみたら良いのではないか、と思った次第。