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露街公開空地

創作やコンテンツに関する覚書......にしたい

便利なことは良きことか

 便利なことは良きことか? とりあえずYESと答えて問題ないだろう。ただ、何となく引っかかりを覚えた。

 「便利」というのは欲求に対する結果をより早く、低コストで、確実に得られるということだ。例えば夜の十一時に「パンが食べたい」という欲が生じたとき、パンを何らかの手段で手に入れることが結果となる。もし住んでいるのがコンビニの徒歩圏内なら、歩いて行って100円〜200円のパンを買えば欲求は満足される。一方、最寄りのコンビニまで車で三十分みたいな場所に住んでいたら、同じコンビニでもその結果すなわちパンを手に入れるコストは非常に大きくなる。夜道を車で走るのは集中力が要るし、ガソリンも使う。かといって歩いて向かったら夜が明けてしまう。考えた結果、諦めてパンを食べないまま寝るか、あるいはご飯を炊くかもしれない。

 上記の例の場合、前者は便利、後者は不便と言われるのだけど、そもそもパンを食べる必要があったのか、という問いを立てることはできる。後者の場合「パンが食べたい」という欲求に対して代替の選択肢を考えると同時に、欲求を満たすことのデメリットも考えることができる。パンを食べないで寝たほうが翌朝お腹がスッキリするし、太りにくい。パンを買うお金も節約できる。コンビニのパンには添加物が数多く含まれていることが普通なので、自然なパンとは言えないかもしれない。

 便利であるということは、欲求の充足に至るまでの間に挟まれる思考過程をすっ飛ばせるということでもある。ネット通販が発達した現在、欲しいものは即購入の意思表明ができる。で、いざ配達が遅いとツイッターで業者に文句を言ったりする。

「便利」を手に入れた人間が次に何を求めるか。より高水準の「便利」だ。日本に住んでいれば、否が応でも実感することになる。日本は他の先進諸国と同様、社会全体がより「便利」になる方向に向かって発展してきた。結果、世の中はだいぶ「便利」になった。全国津々浦々にコンビニが建ち、大型商業施設ができ、ファストフード店ができた。道路が張り巡らされ、公園ができて、洋風の家が建ち、皆クルマを持ち始めた(現在の大都市部ではその限りではない)。紆余曲折はあれど「便利」の追求は現在も加速しながら続いている。

 戦後にかぎらず、過去数千年に及ぶ歴史の中で流れた血と人の苦しみが、現代の「便利」の源である。便利の追求は、それ自体が社会発展の過程であるのかもしれない。であるとするならば、何らかの災害により国の人口の大半が失われるようなことがない限り、便利の追求は続いていくことになる。その過程で、人々は(字面通りであることは稀だと思うが)血を流し続ける。途方も無い話だ。

 私自身はコンビニへ徒歩三分の場所に住んでいるので、コンビニという基準だけ見れば相当な「便利」を享受していることになる。客層があまり良くないので積極的に使うことはないのだけれど、夜中にお酒が飲みたくなって缶チューハイを買いに行ったこともある。しかし缶が空っぽになった後で、缶チューハイを買うことは本当に必要なことだったのかと、酔った頭で自問自答したりする。

 これ以上に便利が加速した未来の世の中は、私のような人間にとって適した環境なのだろうか。