やらなくていいことをやらない為に

 最近の関心事項を大雑把に表現するなら、表題の通りになる。

 とにもかくにも、われわれは時間に追われている。ビジネスの世界では生産性向上が叫ばれ、一方プライベートの時間は圧倒的に少ない。 現代はなぜだかこんな世界になってしまっていて、人っ子一人がどうこうできる問題でもない。

 片麻痺患者、またその他身体的精神的障害を抱えている人であれば、時間はなおさら足りないである。

時間が足りない

 私は片麻痺を抱えつつもそれなりに長い期間(6年半)、一人暮らしをしてきた。 そのうちの6年間は学生だったけれど、それなりに生活はできていた。 買い物も特に不自由はしなかったし、炊事はともかく掃除洗濯も健常者と同じような手順で、人並みに行えていた。

 就職して以降、自分が人並みに一人暮らしをできていたのは、人より多目に私的な時間を持てたからということに気付かされた。

 確かに、私は学生時代アルバイトをほとんどしていなかったし、サークル活動をはじめとする外部活動、また飲み会に代表される人付き合い をさほど活発に行っていたわけではない。

洗濯物を畳むのをやめた

 先月、洗濯物を畳むのをやめた。 基本的に洗濯物はハンガーにかけっぱなしにし、下着のたぐいを仕舞う際も畳まずそのまま箪笥に突っ込む。

 なんといい加減な。私も長い間そう思ってきた。

 しかし先述の通り、私たちには時間がない。 私は洗濯物を畳むにしても、人の二倍ほどの時間はかかる。 また、畳み方を整えることも難しい。折り目をきっちりつけて畳むなど至難の業である。 そこで考えた。そんなに上手く畳めるわけでもないのにわざわざ畳む必要があるのか? と。

 その結果がこの節の第一文。 結論を言えば、特に困ることはないし、家事の負担から少しだけ解放された気分である。

 その分、カーテンレールに洗濯物が常にぶら下がるようになった。残念な光景といえばそうなのだが、さして気になるものでもない。 どうせ、家には朝と夜にしか居ないのだし。

電球をセンサ付きのものに交換

 洗面台とトイレの電球をセンサ式のものに交換した。

 最近は便利な世の中になったもので、照明のスイッチを切り替える手間すら不要のものにしつつある。

「右手でスイッチを切り替えつつ、左手で扉を開ける」ような動作ができない片麻痺患者にとって、この手間はことさら大きい。 「常時点灯しておく」のでも良いのだけれど、電気料金的に、あるいは気分的に、消灯できる場所は消灯しておきたい。 ーーこういった我が儘も、数千円の出費で叶えられる時代である。

 便利を奉り、便利に向かって邁進する現代社会に多少の不安、気味の悪さを感じていた時期が二、三年前にはあった。 今も根っこの部分では当時と同じようなことを考えてはいる。 ただ最近は、「人よりできることの少ない自分が少しでも楽に生きられる」ことが第一の興味で、自分が少しでも楽になるものを受け入れ、試していこうという気分を持っている。

 生活のすべてを家電が見てくれる時代はまだ少し先のようだから、ひとまずはこんなふうに生活をしているという現状報告。